2009年に公開
生活に疲れたり、仕事に疲れたり、勉強に疲れたり、
終わりの無いように思える日常は、閉塞感に満ち満ちて、
時に追い立てられる社会の仕組みはストレスを増幅しつづけます。いつも怒ったような顔をしています。っていうか怒っています。
何かに、いつも。表情がありません。
別に楽しくも、苦しくも、怒ることも、笑うこともありません。
テレビを見ても、街に出ても、それは別の世界の風景のように。子供も成長し、小さいころの笑顔を見ることはなくなりました。
会社もご近所づきあいも、本音を隠し愛想笑いを繰り返すだけ。
お酒を飲んでも愚痴をこぼすか、クダを巻くだけの繰り返し。
笑いを忘れた。笑うことができなくなった。笑えることが無くなった。泣きましょう。思いっきり、泣きましょう。もう、号泣です。
ぐちゃぐちゃに泣きましょう。
泣ける曲、泣ける映画、泣ける小説...泣ける思い出。
何も考えずに子供のように。思いっきり泣いたら、一人でお酒を飲むのもいいでしょう。
ゆっくり、お風呂に入ってもいいでしょう。
そしたら、とっとと寝ましょう。あら、不思議。。。
マイナスにふれた感情は、
無意識にプラスに持ち上げようと感受性が鋭敏になるのでしょうか。きっと笑えます。
何気ないいつもと同じ生活なのに。
通勤時にすれ違う散歩中の犬があまりに不細工で。。。
集団登校する小学生たちのおしゃべりのたわいの無さに。。。
あごを上げて颯爽と歩くスーツ姿の女性が、
駅前で路面にヒールをとられて『カクッ』としたり。。。
社内の会話でもちょっとした聞き間違い、ニュアンスの誤解、
普段なんとも思わない社内用語が妙にツボにはまったりすることも。
町中に掲げられる看板のバランス、どうみても別の字に見えるひらがな。。。笑いながら怒るのは、とっても難しいっス。
笑っていると少々のことでは、怒りが封印されます。おこりんぼさんへ
2018年になって読み返してみる。
つい、この前までは、やっぱり、怒りはじめていました。
『笑門来福』。 ようやく、わかって来たようです。