2015年に公開
昨年は、広島→宮島→呉と回ってきました。
広島・・・
平和記念公園に行きましたが・・・資料館に展示された様々な品、写真、ジオラマから、
想像の及ばない何かの支配に打ちひしがれた現し世を、
足元から伝えてくるように感じました。畏怖というか、そんな、想い。
怒りよりも命、家族、社会・・・
その、はかなさが、むなしさが、心に刺さるようでした。原爆ドーム、そのドームを望む慰霊碑から、資料館へと繋がるわけですが、
その被害の規模、悲惨な光景はよくわかりましたが、
資料館を後にした最初の感情は、『もう、2度と打ち込まれたくはない』でした。
これが、広島で感じた違和感でした。
そうなんです。もっと言えば、
『おいらの暮らす場所には、落とされてなるものか』なんです。
被害の状況が悲惨であればあるほど、やられたくないと思うのが人情です。こんなふうに思うのはおいらだけかもしれません。
でも、おいらとしては、資料館を出たときには、
『核を使いたくない。使ってはいけない』と思えるような展示を考えてほしいと思うのです。『落とされたくない。被害に遭いたくない』と思うだけなら、
先制攻撃は最大の防御となりうるのですから。
世界は、核を手放さないでしょう。被害を受けた後、懸命に努力して復興したと言うのも、
どうなんでしょう。
当時の日本国民は、等しく全国で復興を願ってがんばりました。
戦後の世代は、辛苦そのものを知らないせいか、ふーんってなもんです。
外国人にいたっては、当時の日本国民には因果応報だろ的なスタンスを持つ人もいる。
復興の成果を強調すると、第三者の眼からは、自画自賛に見えることはないのだろうか?慰霊碑 碑文
『安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませんから』過ちとは、なに? そして、繰返さないためになにを?
碑文に恥じない日本を、世界を実現するために、
反核を叫ぶだけではなく、時の経過とともに歩みを進めてほしいと思った次第です。被害に遭われた方、子孫として日々がんばっておられる方々。
お気に障る表現がありましたらお詫びします。犠牲になってしまった方々の心情を思うとき、
ただの観光地としてや、イデオロギーの象徴としてだけに利用されるのは、
我慢ならないのです。ご容赦いただけますようお願いいたします。旅は、宮島に。
宮島といえば、厳島神社です。かかせません。
参拝の時間帯は、潮が引いていて。ふ、風情がぁぁぁ~、ないぃぃぃ~。。。
できれば、潮が満ちた時間帯に船に乗って海から見たかったと。んで、『有もと』さんにてお泊り。
翌日は、『呉』。と言えば、大和ミュージアムです。
う~ん。。。でかい。けど、ちっちゃい。。。1/10 大和。
なんか、伝わらないんです。大きさというかでかさが。
実物大の絵なんかどうだろ? 260m の縦カットで階層までも。
巨大な壁に階段とかつけるくらいなら、費用も抑えられるようにも思えるけど。。。だもんで、隣接する『てつのくじら館』にもお邪魔しました。
瀬戸内の魚を十分に満喫しましたので、
お肉が恋しくなり、遅いランチを呉阪急ホテル・鉄板焼「古鷹」でいただきました。
ここは、全10席しかありません。
人数は及びませんが、貸切にしていただいたので、
呉の街を眼下に望みながら喧騒のないひと時を過ごせました。
お肉もワインもおいしくいただきました。2014年の広島・呉の旅は、これで、おしまいじゃけんの♪
原爆ドーム 平和記念公園
そろそろ、静かなる鎮魂の地に。と思います。
宮島 厳島神社で打った二拍手のひびき!
良い感じでした。