折曲厳禁 Invisibility Power 信州 上田招魂社と真田神社

信州 上田招魂社と真田神社

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2016年に公開

真田丸で大騒ぎの上田市に行ってきました。

大河ドラマのごにょごにょは、パスして上田城址へ。

真田神社。。。

何だろ。何も感じない。

時は午後になっているし、ついでに参るのはいやなので、

挨拶だけで横の道に廻りました。

真田家は、戦国時代にロマンを求めた昭和の男にとって、

結構、ピリッとした存在です。

地域の方々が、郷土の誇りとして称え、奉るのはわかります。

昔に読みかじった時代物小説なぞ思い出しながら、歩いていくと、

おいらのセンサーがマックスに反応。

『上田招魂社』でした。

ここは・・・入れませんでした。

なんの準備や心構えも無く、通りすがりですもん。

ちょっと、寄ってく?なんて無理、無理。。。

思わず、立ち止まり入口の外から拝殿を臨むけれど、たちまち涙が出る。

怒りを感じるのではなく、無念の想いを感じるような。

ここは、やばいと一礼して相対を避けました。

今までにやばいと感じたのは、岐阜羽島の『おちょぼ稲荷』さんでしたが、

なんとか、参拝いたしました。でも、ここは、参道にすら入れず。もちろん、鳥居をくぐれず。

帰京しまして、少し調べてみました。

護国神社に近い存在なのはわかりましたが、なぜにオイラは入れなんだ?

負のエネルギーを感じたのかもしれません。神は、怖いですから。

目の前で、浮ついた盛り上がりを見せる真田家。

ひきかえ、見向きもされず、禁忌の地さながらに人通りの無い二の丸。

護国の英霊としてまつられていても、

想いに背くならば、荒ぶる神として何かを示されることもあるでしょう。

真田家が戦国武将として、その智略と武勇が称えられ、語り継がれる。わかります。

でも、誰かのため、郷土のため、地域社会のため、国家のために、

犠牲になった英霊たちは、真田家と並べて称えられる存在ではないのでしょうか?

オイラは、参道にすら入っていませんので、境内の様子はわかりませんが、

ネットで検索すると、いろいろ出てきます。

あんなふうにお祭り騒ぎをされることがいいとは思いませんが、

真田神社も上田招魂社も上田城も、

その由緒を広く知らしめ、後世に伝えていくのは、今を生きる者の勤めです。

チャリティやボランティア。さまざまな奉仕活動の根は、教育や経験、知識でしょうか?

日本人は、戦国時代の戦と近代の戦争を誤った教育で歪められていないだろうか。

自虐史観に基づいた被害者を鎮める場所とされれば、ひっそりとする。

可哀相な戦死者は、まず、空襲や暴力で命を失った非戦闘員。

次に赤紙で無理やり戦地に行かされ亡くなった英霊。

この赤紙召集された英霊をまつる場所なんだろうか?

哀悼だけでしょうか?

それなら、神社で祀ることなく、鎮魂の碑とかで良いような。

英霊として祀られる=神となり、祀られるなら、

被害者、加害者のくくりではなく、

その命を懸けて戦った功績を称えることこそが大切では?

そうなれば、地域の方たちをはじめ、日本国民が慰霊と感謝の念を持って参ることになる。

う~ん。。。変かな。もう少し、オイラも考えてみないと。。。

靖国神社をはじめ、全国の護国神社、招魂社へのスタンスが、

少しずつでも検証、修正されるよう声を出していきます。

そして、また、上田に参りますよ。 必ず。

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