折曲厳禁 Invisibility Power 2019 雲州 出雲大社

2019 雲州 出雲大社

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6年ぶり、2度目の参拝です。

金曜日でしたが、さすがに賑わっています。

拝殿の前に立つと以前と印象が違います。

記憶よりも小さかった・・・

喧騒のせいかイマイチ落ち着きません。

出雲大社 本殿

右に廻り、東側から望む本殿です。

ここでしっかりとした神気を感じます。

和魂・・・そんな感じです。チカラは感じますが畏怖はありません。

この場所、この神域だからという感じではなく、

居住地域でも感じられることのある『護られている』感覚に近い。

この神気が、大国主大神なのかもしれません。

素鵞社(そがのやしろ)

本殿の裏手にある摂社です。

ご祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)。

稲佐の浜から砂を持ってきて・・・という社です。

前回の参拝時よりも良い空気感を感じます。

國造家鎮守社

境内にも氏の社はありますが、

神楽殿の裏手、こちらの鎮守社に惹かれます。

いわゆるパワースポットと言っていいかもしれません。

降り注ぐような何かを感じられます。

祓社(はらえのやしろ)

こちらの祓社(はらえのやしろ)は、神楽殿の前にあります。

参道に祓社(はらえのやしろ)がありますから、

出雲大社への参拝では、そちらがルートになります。

そして、わたしはこちらの社に惹かれてしまう・・・

どちらもご祭神は、祓戸四神です。瀬織津姫が気になりますね。

左の社は、金刀比羅宮です。

ご祭神は、大物主神です。大国主神と同神と紹介されています・・・

西十九社

境内に戻り、神在月のための大きな社。

神魂御子神社(かみむすびみこのかみのやしろ)

本殿の西、心地良い神気を感じた社は、こちらです。

ご祭神は、宗像三女神の多紀理比売命(たぎりひめのみこと)。

宗像三女神は、 市寸島比売命が印象強いのですが、

こちらでは、画像の位置に立つと、

穏やかな大きな海を思わせる神気を感じます・・・

北島国造館 天神社

再拝いたしました。

ご祭神は、少名毘古那神。

やはり、良い神気を感じます。

滝と緑と秋の日差し・・・静かに流れる刻・・・落ち着きます。

やはり、混雑している境内では、気の乱れみたいなものを感じます。

こちらの池周辺、さきほどの神楽殿裏手に流れる小川の周辺は、

居心地の良い空間でしたね♪


今回の再拝は、お天気に恵まれ、祓い、清められるようなひと時でした。

普段の生活をおくる毎日。

護られているように感じる瞬間がありますが、

そんな神気こそが、大国主大神なのかなぁ・・・とすれば、

まさに真の国津神なのかもしれません。

わたしは、何でもかんでも大国主大神と同神とする伝承には懐疑的です。

ヤマタノオロチ伝説、因幡の白兎・・・どうかなぁ・・・

本殿、西側に向き合い、鎮魂していくと、

僥倖のように参拝客の途切れる瞬間があります。

まるで合図のように一瞬だけ吹く・・・そよ風。

『よく来たな』そして『がんばって生きているな』

『感謝を忘れず、丁寧に生きていけよ』と心に響きます・・・

わたしは、大国主大神からは、真摯な姿勢を感じます。

民の声に耳を傾け、不器用な試行錯誤や努力を感じます。

スーパー治世者的なカリスマを感じないのです。

弱いものにやさしく、心無い者さえ大きな器量で包み込むような、

大きさと深さを備えた度量を感じました。

ボランティアガイドが声高に話しています。

『住所と氏名を名乗り、願い事を念ずれば叶う』・・・う~ん・・・

現世利益かぁ・・・

わたしは、参拝時に”原則として”心願をたてることはしません。

自身の生き方、生き様を振り返り、自身を見つめなおすために、

参拝しています。もちろん、懺悔とも違います。

まず、自身が正しいと思う生き方、自分らしい生き様、

他者、環境、今生きていることへの感謝・・・これだけです。

欲や他との比較的な概念はありません。

命、ひとつ。これだけで幸せと思います。

経済的に恵まれてはいません。家庭もありません。

社会的地位も名声もありません。

でも、たしかに、自分は幸せな人生を送っていると感じる時があります。

わたしは、それで良いと思っています。

これからも参拝を続けます♪

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