6年ぶり、2度目の参拝です。
金曜日でしたが、さすがに賑わっています。
拝殿の前に立つと以前と印象が違います。
記憶よりも小さかった・・・
喧騒のせいかイマイチ落ち着きません。
右に廻り、東側から望む本殿です。
ここでしっかりとした神気を感じます。
和魂・・・そんな感じです。チカラは感じますが畏怖はありません。
この場所、この神域だからという感じではなく、
居住地域でも感じられることのある『護られている』感覚に近い。
この神気が、大国主大神なのかもしれません。
本殿の裏手にある摂社です。
ご祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)。
稲佐の浜から砂を持ってきて・・・という社です。
前回の参拝時よりも良い空気感を感じます。
境内にも氏の社はありますが、
神楽殿の裏手、こちらの鎮守社に惹かれます。
いわゆるパワースポットと言っていいかもしれません。
降り注ぐような何かを感じられます。
こちらの祓社(はらえのやしろ)は、神楽殿の前にあります。
参道に祓社(はらえのやしろ)がありますから、
出雲大社への参拝では、そちらがルートになります。
そして、わたしはこちらの社に惹かれてしまう・・・
どちらもご祭神は、祓戸四神です。瀬織津姫が気になりますね。
左の社は、金刀比羅宮です。
ご祭神は、大物主神です。大国主神と同神と紹介されています・・・
境内に戻り、神在月のための大きな社。
本殿の西、心地良い神気を感じた社は、こちらです。
ご祭神は、宗像三女神の多紀理比売命(たぎりひめのみこと)。
宗像三女神は、 市寸島比売命が印象強いのですが、
こちらでは、画像の位置に立つと、
穏やかな大きな海を思わせる神気を感じます・・・
再拝いたしました。
ご祭神は、少名毘古那神。
やはり、良い神気を感じます。
滝と緑と秋の日差し・・・静かに流れる刻・・・落ち着きます。
やはり、混雑している境内では、気の乱れみたいなものを感じます。
こちらの池周辺、さきほどの神楽殿裏手に流れる小川の周辺は、
居心地の良い空間でしたね♪
今回の再拝は、お天気に恵まれ、祓い、清められるようなひと時でした。
普段の生活をおくる毎日。
護られているように感じる瞬間がありますが、
そんな神気こそが、大国主大神なのかなぁ・・・とすれば、
まさに真の国津神なのかもしれません。
わたしは、何でもかんでも大国主大神と同神とする伝承には懐疑的です。
ヤマタノオロチ伝説、因幡の白兎・・・どうかなぁ・・・
本殿、西側に向き合い、鎮魂していくと、
僥倖のように参拝客の途切れる瞬間があります。
まるで合図のように一瞬だけ吹く・・・そよ風。
『よく来たな』そして『がんばって生きているな』
『感謝を忘れず、丁寧に生きていけよ』と心に響きます・・・
わたしは、大国主大神からは、真摯な姿勢を感じます。
民の声に耳を傾け、不器用な試行錯誤や努力を感じます。
スーパー治世者的なカリスマを感じないのです。
弱いものにやさしく、心無い者さえ大きな器量で包み込むような、
大きさと深さを備えた度量を感じました。
ボランティアガイドが声高に話しています。
『住所と氏名を名乗り、願い事を念ずれば叶う』・・・う~ん・・・
現世利益かぁ・・・
わたしは、参拝時に”原則として”心願をたてることはしません。
自身の生き方、生き様を振り返り、自身を見つめなおすために、
参拝しています。もちろん、懺悔とも違います。
まず、自身が正しいと思う生き方、自分らしい生き様、
他者、環境、今生きていることへの感謝・・・これだけです。
欲や他との比較的な概念はありません。
命、ひとつ。これだけで幸せと思います。
経済的に恵まれてはいません。家庭もありません。
社会的地位も名声もありません。
でも、たしかに、自分は幸せな人生を送っていると感じる時があります。
わたしは、それで良いと思っています。
これからも参拝を続けます♪