数年ぶり、二度目の伊勢神宮 内宮 皇大神宮です。
ご祭神は、天照坐皇大御神。日本の総氏神ですね。
手水舎はありますが、古来の清め的に今回は五十鈴川で。
想像以上にきれいな水でした。
神域全体に流れるような穏やかな空気感。
それは、透明感さえ感じるような凛としたものでもなく、
ある意味テーマパークのようなファンタジーの世界。
観光地のようにゆるい雰囲気を嫌う方もいるかもしれませんが、
わたしは、否定するつもりはありません。
張り詰めた静寂の中で憐憫と深い悲しみが交差する靖国神社は、
対極に値するかもしれませんがやはり否定することはありません。
どちらも、私にとって大切な拠り所ですからそのままを受け入れるだけです。
時代や世代が変わるのと同じように神社も変わるとしても。。。
中央の拝所に掛かる白い拝殿御幕、御幌(みとばり)。
御垣内から吹く風で舞い上がっています。
『天照大御神の白い風』が吹いた瞬間です♪
生涯に何度も参拝できるわけではありませんので、
ただの風といってもざわめいてしまいます。
御正宮は、階段に立つと撮影禁止になります。
このタイミングは、参拝を終え階段下まで降り、
すぐに後にする気にならず、参拝される方たちの邪魔にならないところで、
鎮魂し、ふと見上げた瞬間舞い上がって、慌てて撮影したものです。
今までに神社神域で色々なことがありましたが、
心が震える出来事として忘れることはないでしょう。
西側にある御垣内に通じる立入禁止の小道。
皇大神宮で唯一、強い邪気を感じた場所です。
画像もなぜか、ピントが合っていません…
何かを示唆しているような気がして撮影しておきました。
ご祭神は、天照坐皇大御神荒御魂です。
正面からの撮影が憚られるような神気を感じました。
御正宮とは、違う正に神。。。
阿佐ヶ谷神明宮、所沢神明社、伊勢原大神宮。
今一つ、モヤモヤとした印象だった天照大御神。
御正宮での参拝、この荒祭宮での参拝で感じられたようです。
数年前と変わらない佇まいです。
COVID-19 の影響で色々制限があるようですが、混んでいました。
さて、わたしは、
ゆっくりと時間を気にせず、歩いた伊勢参りになりました。
古に倣い、歩いて感じて、過ぎし日々の思い出と共に。
二見興玉神社に向かう道すがら、どの家にも必ず魔除けの門符がつけてあって、
窮屈な地域の縛りみたいなものを感じたり、
豊受大神宮では、せんぐう館で技術の伝承を続ける努力の凄さに圧倒され、
皇大神宮では、神宮に仕え、支える人々の想いにふれたり。
来年は、奈良に行こうと思います。
COVID-19 の収束が気がかりですが、楽しみです。