茨城県那珂郡東海村に鎮座する郷社。参道の表示板には、茨城 一の宮とある・・・
ご祭神は、天照皇大神
二の鳥居 社務所? なぜに大書?
村松 つまり隣地に村松虚空蔵堂があります。
どうやら、虚空蔵堂とはトラブルがあるようです。
ご祭神が天照皇大神なので神明宮の神気感かと思いきや・・・
全然違うように感じる。邪気ではないけれど、陰の気配。
本殿に近づくと神明宮の神気?らしき印象。
阿佐ヶ谷神明宮、石浜神社の空気感を思い出すけれど、こちらでは、本殿周辺に限られる。
神域全体は、複雑な雰囲気と違和感に包まれているよう…
参道から末社の愛宕神社、晴嵐神社、さらに本殿裏にいくつかの社がありますが、
何となく感じる違和感の理由はそのあたりにありそう。。。
茨城 一の宮? 式内でもなく、郷社・・・
最高神である天照皇大神を祀るから一の宮? 少し、苦しいような。
格と言うものは、自分で決めるものではないと思うし、人知の及ばない何かによって備わるもの。
人の格と同様に財力やチカラや知識、ましてや人気で図るものではない。
隣地の虚空蔵堂とのトラブル・・・
一の鳥居、駐車場入り口の注意書き・・・
当事者にしか理解できないような重さと期間を重ねた因縁があるのだろうけど、
近隣とのトラブルは、残念な気がする。
宗門内での~派的な争い、教義や価値観が違っても敵対しない距離感を造れないのだろうか?
常陸国出雲大社でも感じたことだけれど、宗教に優劣なんてなくてもいい。
相対的な評価で判断するものでもないように思う。
信者であれ、信徒であれ、講であれ、教徒であれ、本人が決めることでしかない。
他者が信じるものを否定するのではなく、導く姿勢が大切に思う。
それは、問答や法理などで屈服させるものではなく、導くものの姿、生き様で示すものと思う。
再拝する機会は無さそう・・・